両親からのメッセージ

両親からのメッセージ

しょうへいくん成長の写真

この度は、私たちの息子である翔平(しょうへい)のためにたくさんの方にご尽力を賜り、誠にありがとうございます。特に貴重な時間を割いて「しょうへいくんを救う会」を結成してくださった有志の皆様、活動に協力してくださる皆様に心から感謝申し上げます。

息子翔平の病気が分かったのは、2017年5月の妊娠7カ月の時でした。いつものように妊婦検診の「心臓の動きがおかしい」「心筋症の可能性が高い」と医師から告げられました。このままお腹にいては、どんどん症状が悪くなり、弱ってしまう、死産もありえると聞かされた私たちの目の前は真っ白になりました。
「どうして…こんなに元気に動いているのに…」「何かの間違いであってほしい。」これは本当に現実なのか。受け入れることがなかなかできず、そう願っていました。

一刻も早く、治療を始めないと命が危ないと医師たちの判断により、予定日より2カ月早い、32週で出産することになりました。
帝王切開の日が決まっても、毎日毎日不安で仕方ありませんでした。そして、2017年6月13日、私たちの不安を取り払うかのように、翔平は無事に産声をあげ産まれてきてくれました。この時、心不全の数値を表すBNPの値は1000を超え、未熟児ということもあり、危険な状態で、すぐに保育器に入った翔平は何とか一命を取り留めることができました。

ここから翔平の長い闘病生活が始まりました。
産まれてから1800gまで体重が減ってしまい、その上、水分制限も厳しく、なかなか体重を増やすことができませんでした。点滴や飲み薬で内科的治療を続け、一時は退院の話も出て、家で過ごせることを心待ちにしていましたが、その思いは一瞬で打ち砕かれました。たくさんの点滴をつけているため、そこから感染症を引き起こし、高熱が出てしまいました。その高熱のせいでBNPが上がってしまい、下がらなくなってしまいました。
胎児期より心筋症を発症している赤ちゃんは、体重を増やすことが非常に難しいと聞かされていましたが、先生方の懸命な治療のおかげで、2017年11月にはなんとか3000グラムまで体重を増やすことができました。そして。このまま強心剤で内科的治療を続けるのは難しい、翔平が生きる道はもう「心臓移植」しかないと改めて告げられました。しかし、翔平の入院していた病院ではこれ以上の治療はできないと、大阪府内の病院を紹介してもらい、転院することになりました。

転院してからも、内科的治療を続けてくれましたが、翔平の心臓はもう限界だったようで、どんどん悪化していき、沈静をかけないといけない状態になってしまいました。そして、小児用人工心臓(ベルリンハート)を取り付けることが決まり、その為のカテーテル検査が行われました。その時、翔平は急変し、心臓マッサージをし呼吸器を挿管し、ICUに運ばれました。そして、医師より「心臓はもう限界です。明日、人工心臓を付ける手術をしましょう」と言われました。
手術当日、弱り切った翔平を見送り、祈りながら帰りを待っていました。しかし予定時間を過ぎても手術が終わらず、不安で胸がいっぱいになりました。そんな私たちの嫌な予感は的中しました。 人工心臓を装着し、胸を閉じた後、心室と心室の間にある中隔に大きな血腫ができ、心室を押しつぶしてしまいました。それにより、人工心臓のポンプに血液を送り込むことができず、人工心臓は機能できなくなってしまい、急きょ、人工心肺装置(ECMO)をつけることになりました。こんなことは世界中でも珍しく、日本では初めてのことであると言われました。突然起きた現実に、理解し、受け止めることができず、ただただ泣くことしかできませんでした。
手術後、翔平の姿を見て、「健康に産んであげられなくて、ごめんね。辛い思いばかりさせてごめんね。」と、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。小さな体のお腹から、4本の太い管が出て、心臓は肥大し、胸も閉める事ができず、開胸したまま、翔平は懸命に生きていました。
それから、血腫の抗体を待ちましたが、このまま待つのは時間がかかりすぎるという判断から、血腫を取り除く手術が行われました。どうなるか予測がつきませんでしたが、無事に大きな血腫を取り除くことに成功しました。

その後、人工心肺を1カ月以上装着しましたが、大きな問題も起きず、2018年1月4日左心に補助人工心臓が装着されました。そして1月9日、血腫が原因で弱くなってしまった右心にも補助人工心臓が装着されました。両心室に補助人工心臓が装着されるのは日本で初めてでした。バランスを調整することが難しく、安定するまで、とても時間がかかりました。少し数値も安定してきたので人工呼吸器を抜管することになりました。長期間挿管されていましたが、無事に再挿管にならず、一般病棟に上がることができました。
補助人工心臓のおかげで、すくすく成長し、危険な状態からは脱出できましたが、この機械をつけているうちは、血栓や感染症、また血栓をできにくくするための血液をサラサラに薬を飲んでいるので、脳出血や脳梗塞の危険と常に隣あわせの状態です。装着が長期になればなるほど、危険性も高くなることも分かっています。
国内での移植を待機することも考えましたが、小児の心臓移植の例は極めて少なく、10歳未満で心臓移植を受けた子どもは7例しかありません。(2018年5月) 体の小さな翔平にはさらに長期間の待機が予想されます。ここまで辛くて痛い大きな手術や、命の危機を全て乗り越え、奇跡を起こし続けてき、一生懸命に生きる翔平を救いたい、一刻も早く心臓移植を受けさせてあげたいと思い、症例の多いアメリカへの渡航移植を決意しました。

今回、先生方のご尽力により、アメリカのテキサス小児病院にて受け入れをしていただける運びとなりました。しかしながら、渡航移植には莫大な費用がかかるため、私たち家族だけではとてもまかないきれず、皆様へお願いをして助けていただくしかありません。
翔平は今、機械につながれながらも日に日に成長しています。しかし、産まれてから一度も家に帰ってきたことはありません。翔平と一緒に、川の字で寝たり、ご飯を食べたり、そんな当たり前の楽しい毎日を過ごさせてあげたい。笑顔で翔けるその日がくることを願っています。
誠に勝手な願いであることは重々承知しております。ですが、どうか、翔平に生きるチャンスをください。
どうか皆様の暖かいご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

川﨑 太志、静葉

2019年3月25日をもちましてしょうへいくんを救う会事務所は閉鎖致しました
ご連絡先
saveshohei@gmail.com