翔平をいつも応援してくださる皆さま、ありがとうございます。
また、しょうへい日記をいつも楽しみにし、読んでくださる皆さま、心より感謝申し上げます。
日記を通じて、翔平のことを皆さまにより知ってもらいたいと思っています。
今回は、前回より日にちが空いてしまいました、現在に至るまでの振りかえりを書いていきたいと思います。
前回の振り返りにも書きましたが、カテーテル検査中、急変した翔平はICUで眠っていました。
次の日、小児用補助人工心臓を装着する手術が行われました。
朝9時から始まった手術は、予定では、午後の5時頃には終わっている予定でした。
私たちは、翔平が無事に帰ってきてくれることを祈りながら待合室で待っていました。
しかし、予定時間を過ぎても、連絡はなく、ただただ時間が過ぎていきました。
不安でたまらない私は、廊下から見える手術室の窓を眺めるしかありませんでした。
午後7時、外科の先生が私たちのもとへ来てくれました。
その時、先生からは信じられない事が起こったことを聞きました。
心室ト心室の間にある筋肉(中隔と言います)内に、突然大きな血腫ができ、左の心室を押しつぶしてしまい
それにより、補助人工心臓が機能しなくなってしまったこと
現在は、人工心肺装置に付け替え、延命している状態であること。
こんなことは、初めてのことだと言われ、涙が溢れてしまい、頭が真っ白になりました。
先生は現状を丁寧にお話してくださり、また手術室へと戻っていかれました。
けっきょく、手術が終わったのは、午後9時を回っていました。
術後、翔平に会いに行くと…
小さな身体から太い管が4本。何本もの管が出ていました。
数えきれないほどの点滴が翔平の身体にはつながっていました。
痛々しい我が子の姿を見て、謝ることしかできず…
「がんばったね、おかえり」ともっとたくさん褒めてあげれば良かった…
こんなにも頑張っている翔平に何度試練が襲いかかるのか…
どうか、翔平を助けてください。翔平を奪わないでください。
もっともっと翔平といたい。
翔平の成長する姿をそばで見ていたい。
本当に本当につらく厳しい現実でした。
その後、血腫の後退を待つことになり、人工心肺装置での延命治療は続きました。
どうにか、補助人工心臓に切り替えなければ、この先はありません。
そう、聞かされていた私たちは、血腫がなくなることを毎日祈っていました。
しかし、血腫はいつまでもなくなることはなく、人工心肺装置もいつまでも使い続けることは難しく
先生方は懸命に考えてくださり、血腫を取り除く手術を行うことを話してくださりました。
このままでは、命が危ない。しかし、中隔を取り除く手術の症例は世界的に少なく、とても危険な手術だということ。
説明を受け、何度も納得のいくまで先生と話し合い、説明を聞きました。
私たちは、翔平の未来のために、同意書にサインをしました。
翔平が懸命に生きたいと心から叫んでいるように思えていたからです。
苦しく、ツライことばかりさせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
翔平を信じ、自分たちの決断、先生方の助けてあげたいという強い気持ちを信じ
2017年12月18日
血腫を取り除く手術が行われました。
手術当日、翔平はうっすらと目を開け、私たちを見たような気がしました。
「大丈夫、行ってきます。」と言っているような…なんとも頼もしい気持ちにさせてくれました。
12時間後、翔平は無事に帰ってきてくれました。
手術は成功し、大きな血腫はなくなり、予定していた処置も全て成功しました。
先生方からは「この手術をして良かった」と言ってもらえたことを覚えています。
翔平のために全力を尽くしてくださる先生方には心から感謝です。
ゆっくりですが、前に進むことができた日でした。
長くなりました。また続きを更新致します。
ここまで読んで頂き、本当にありがとうございます。
翔平の母、静葉